没有谷歌又如何?

 中国でGoogleは「谷歌」っていうんだって。だから表題は「グーグルなくてもそれがどうした」という意味なのだけど…
 いやマジでそれがどーしたって話だよな。大陸から撤退するとかしないとか。イヤならさっさと出て行きゃいいじゃん。中国には百度があるもん。簡体字サイトを探すならこっちでたいがい事足りるよ。これと雅虎と捜狐ぐらいあればじゅうぶん。たかがアメちゃんの検索サイトが中国版を開いていようといまいと、ほんとどうでもいい。
 たかがインターネットの一サービスなのだ。これもそうだしFacebookとかTwitterなんかもそうだけどさ。なくても生活には困らない。いやそもそも、インターネットそのものがなくたって生きるのに困りはしないんだってば。ネットショップ開いてる人が何を言い出すんだって話だが、そりゃ確かにずうっと便利にはなったよ。楽しくもなった。だけど、なくなったって死にはしないのだ。人と連絡をとりたかったら電話か手紙。ニュースが知りたきゃテレビか新聞。最悪どれもなくなったって、狼煙か矢文か伝書鳩で連絡をとり、ニュースは瓦版か立て札で間に合わせれば良い。どれもネットやメールと似たようなもんじゃん。
 たかが「べんり道具」を、国家の指針まで左右するかのごとく大げさに騒ぐのがわからない。世界にひとつぐらい、「グローバルIT企業」とやらの言いなりにならない国があったって別にいいじゃん。世界中同じインターネットサービスが同じ情報を振りまく、そんな、のっぺり均質な世界なんて気味悪いよ。
 そりゃ私も中国は正直いけすかない。香港は大好きだけど大陸はゴカンベンさまだ。こないだのクロマグロだってさ、結局中国人が「呑拿魚」の刺身食いたかっただけじゃん。それで睨みきかせて賛成票集めたんだけど、大陸の連中が寿司だ刺身だって、お前らに味がわかるのか!と言いたい。つい20年まで窓からトロリーバス乗り降りして、上半身裸やランニング一丁でツバ吐きまくって、外白渡橋からバンドへの歩道じゅうにスイカの皮やヒマワリの殻やゴミくずをかっ散らかしてた下品な連中が!
 あれ見たとき「ああ、中国人は私たちとはまったく違う感覚で動く人種なんだなあ」と思ったもんね。あれから20年、大陸はずいぶんキレイに近代的になったらしいけど、やっぱり中国は世界のどこの国とも違う。ますますそう思うんだ。
 やっと少し中国史をオベンキョするようになって、たとえば為政者と臣民との関係性とかその在り様、中国において為政とはどんなことか、体制維持とは?とか考えたりするんだけど、やっぱそれは西欧の「人権思想」とやらとは、まったく根っこの違うものだ。
 どっちがいいとも悪いともいえない。ただ、「違う」。
 その、東アジアのでかい大陸のココにある「違うやつ」こそ世界でいちばん良いものなんだ!という思いは、すでに「中華」という短いことばに凝縮されている。「華」なんだぜ、「はな」。
 世界でいちばんいいと思いながらすでに4千年。そこに新大陸のローカル企業Googleが、これまた彼らにとっちゃ夷狄と大差ない西の果ての地のローカルな思想「人権思想」「言論の自由」をふりかざしながら来たってなあ。いまの対応でもじゅうぶん、丁重に迎えてるほうだと思うよ。
 偉そうなのはどっちもどっちって気がするけど。まー世界にひとつぐらいグーグルのない地域があったって別にいいじゃん。ほっとけば?
 えーもし日本が検索統制とかやってグーグルが撤退したらどうするかって?…やっぱ別に困らない。なんか知りたきゃ雅虎香港で検索するさ。知りたいことがあれば、図書館か電話帳で調べるしさ。