タダじゃおかねぇ

 六本木ヒルズにも来たよ、来た。マクドナルドのカフェオレ無料配布。
 こないだ文化の日、祝日晴天昼下がりのわりにだいぶ人の少ない渋谷を歩いていたら、街頭ビジョンで宣伝してんの。「このあと15:00から東急プラザにて、カフェオレの無料提供をはじめまーす」。行くわけねーだろ、このあと用事もあるし…と、さっさとシカトこいて渋谷を離れたが、その晩のWBSでさっそく取り上げられてた。案の定大行列だったそうな。「このあとも都内いくつかの場所で行なわれるそうです」と小谷真生子がシメていた。その「いくつかの場所」のひとつが、やっぱりヒルズか。会社の人がチラシをもらってきた。
 「昼休み、行ったら?」と勧められたが、行きません。昼休みは1時間しかないのだ。たかがカフェオレ1杯のためにつぶしてたまるか。それもあるのだけれど、それ以上に…カフェオレ1杯めぐんでもらうために1時間待ちもいとわぬ貧民の列。外から見ればカーティス・メイフィールドのアルバム「ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ」ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ+1のジャケ絵そのものだ。いまもショップスペースでは何十万円もするキラッキラのお洋服や宝石を普通に売っている六本木ヒルズ。カフェオレ配布会場は大屋根プラザといって、年収1千万クラスの社員ばかりが働くテレビ朝日の社屋と、ブランドストリートのけやき坂にはさまれた場所である。そんな場所で寒空の下待つなど、殊更みじめではないか。
 しかも気分良くないのはこれが困窮者救済でもなんでもなく、単なるマクドナルドの宣伝活動であるということだ。高い出稿料出して「またか」と思われながらテレビCMを打つよりも、目立つ場所で目立つ施策をやってテレビニュースに取り上げてもらったほうが露出時間が稼げる、という魂胆だもん。実際マクドナルドは秋からのコーヒー無料キャンペーンで売上大アップだそうだ。だったらすすんでマクドナルドのCMのエキストラになってやることもないじゃん。コーヒー1杯のギャラでさ。バカみたい。
 ほんとに家計厳しい人たちのためになんとかしたいと思うんだったら、森ビルはプロパーでヒルズの中に吉牛や「はなまるうどん」、「ドトール」や「日高屋」や「ガスト」といった、ワンコイン前後でランチの食えるテナントを入れるべきなのである。相変わらず何を食ってもバカ高く、ノースタワー地下のファミマやウエストウォーク4階のam/pmばかりに大行列のヒルズ。中で働く人のことなんて虫ッけらぐらいにしか思っていないんだ。そんな森ビルなんて倒産しちまえよ。
 しかしこれは六本木ヒルズだけの特殊事情で、一歩外に出れば「タダ」や「激安」の嵐だ。渋谷で昼ごはん食べながら窓の外の通行人を見ていると、誰も彼も、着てるもの、ホントに安っぽくなったなあと感じる。私もたいがい小汚いけど、みんなアタシのレベルまで落ちてきてどうするんだ(苦笑)。ほんとにユニクロ990円ジーンズはいてるんだ…。一方で「秋冬の流行アイテム」っつって百貨店のブティックにこればっか置かれてる丸襟のライダースジャケット、寒くなったのに誰も着てなくてバロスw誰も買ってないんだねー、いや買えないのか。小金持ってる人は原宿や青山、代官山のセレクトショップで個性的な服買うもんね。2万円前後の、中途半端な「トレンドアイテム」なんていちばん手が出ないとみた。コンビニ弁当も¥298ってのがついに通勤途上の駅ナカ・コンビニに登場した。雑誌「東京Walker」や「東京一週間」を見れば「タダで野菜がもらえる!農業イベントに行こう!」って東京農大の学祭デカデカと紹介してるし。おおおい…やめとけよ…漫画「もやしもん」に出てくるとおり、毎年近所のがめつい主婦達で暴動状態になる学祭なのに…遊山気分の若者まで巻き込んで戦火を拡大させてどうする(笑)。
 そんなにタダが、激安がいいのか!…いいらしい。激安で売るユニクロサイゼリヤ餃子の王将マクドナルドも、最高益更新などと言ってホクホクしているという。では、私も商売する身。彼らを真似て、「激安セール」や「無料配布キャンペーン」をやればよいのか?
 絶対やらない。
 すでに円高還元激安セットとか、「一見さん限定」「学生限定」といった割引特典もやってるし、きのうまで毎年恒例の割引セールもやってたけど、これ以上はもうやらない。採算割れ確実の大幅値引きや、あまつさえだぶついた在庫の無料配布などは、香港漫画店はしないのである。
 いったん値下げすると上げにくくなる、ってのもあるけどさ。それ以上に…あまりの安売りは漫画家さんへの冒涜だと思うからだ。香港のコミックは本当に独創的で、線もおっそろしく緻密で、これでもかこれでもかというぐらい1コマにいろんなものが描き込まれている。遠い香港で一生けんめい描いている漫画家さんを、たたき売るようなことはしないのだ。そのうえ一本の作品に信じられないほど大勢のスタッフがかかわっている。流れ作業で、こまかく作業を分担して1本を仕上げているのだ。みんなお給料をもらって作業している。いまはCGの普及でだいぶお手軽になったものの、こんなに人の手がかかった、労働集約型の古きよき香港手工業の象徴みたいなものを、たとえ二次販売・三次販売だろうと、二束三文では売れない。
 それともうひとつ…香港の漫画にはちゃんと価値があるんだよ、ということを知らしめたいと、僭越ながら思っているので。6年半営業してきて、たぶんこれを聞いたらみんな驚くと思うけど、お客さんで在留華人=むこうから仕事や留学、定住で日本に来ている中国語ネイティヴの人というのが、いままでひとりもいないんだ。うーん、まあ、日本風の名前を名乗っている人もいるのかもしれないけれど、すぐそうとわかるお名前の方からのご注文はいままで1件もない。なぜか。日本に来ている皆さんは、少なからずインテリでエリートであるというプライドをもっている。他方、現地では地元漫画が非常に下賤な読み物であるという認識なんだな。地元民自身が香港漫画の価値や魅力に気づいていないわけよ。だったらせめて、酔狂な外国人のひとりぐらい価値を認めてあげてもいいんじゃないかなぁって。価格が価値をつくるのである。
 だから過度の値引きはしない。漫画は食べものや着るものと違って、生活に必要はない。なくても暮らしていける。だからまあ、お財布の事情が許さなくて買えない時というのもきっとあるんだと思う。いつかまた不景気の霧が晴れて、漫画を楽しむ余裕ができてお客さんが戻ってきたとき、前となーんにも変わらずそこにある。いつでも戻ってきたくなったときにそこにいる、そういうふうにするために、今はガマンしてがんばる。それが必要なんじゃないかと、最近は思っている。
 だからさあ。「うわーい激安だー」「いやっほータダでもらえるよー」と喜ぶのもいいけど、その前に「これはどうしてタダなんだろう?」「どうしてこんなに安いんだろう?」と、一歩立ち止まって考えるのがいいと思うよ。そうしないとみんなのお財布事情はいつまでも、良くはならないと思う。